2015年10月10日 00:00 AM

越えてゆく

いとこ(従姉)が逝去しました

2011年に肺がんの宣告を受け
(私は初期の乳がんと思っていました)
術後、お会いする機会には
変わらない笑顔で 安心していました
 
久しぶりに娘を連れて会いに行きたいなと
思っていたところで
心の整理がつかないままの告別式でした
 
転移により 3ヶ月程前から体調が悪化し
自宅で過ごしたいという本人の希望で
ご自宅での緩和ケアの末 旅立たれたそうです


最愛の旦那様と
近年結婚された2人の息子さん、
そのお嫁さんと、小さな2人のお孫さん
まだ結婚していない23才の娘は
ウエディングドレス姿を披露して
見せてあげたそうです

家族みんな 職場の方々の協力のもと
出来る限り寄り添って
寝たきりの時間も 髪や身なりを整え
最期の時間は、医者不在の
孫を含めた家族全員が見守るなか
58才の生涯を閉じたそうです

病さえなければ
幸せ真っ只中の家族

悔しさで哀しみは止まりません
が、私は初めて
羨ましいと感じたお葬式でした


たいへん語弊のある言葉かと思います
が、それほど愛に満ちた葬儀であり
それまでの豊かな時間を感じたのでした

逝く人 残される人 の
身を 千切るような 悲しみが
変わるわけではありませんが

思い出の焼き付いた 親しみある場所で
おとろえてゆく自分の姿を
ありのまま 受け止めてくれる家族に
見守られながら過ごした最後の最後の時間は
どんなにか心強く、感謝に満ちた
時間だったのではないかと思います


彼女の子供たちが
葬儀場で 時に微笑みを持っていたことも
忘れられません

それはきっと 精一杯に見送った自負と
彼女の代わりとして 参列者にご挨拶する
涙を超えた 強さではないかと感じました

限りない愛のなかに 終わりのない場所がある

大抵の別れは 孤独で
ただただ 悲しみのなかで迎えてしまうのではないでしょうか
憶えば 私は 父も母も
涙ばかりで 見送ってきました

自分の書いた「レクイエム」の歌詞では
たいせつな人を 独りにさせないように
一日でいいから 長く生きよう、と
綴りましたが

もしその時が来たなら
病院であっても、自宅であっても
逝く人の 心の細さを
精一杯拭い 支えられるよう
もっと、もっと、強くならなければと
教えられた 告別式でもありました

生まれ変わりを 信じたいさようなら またいつか、

絶望で
涙もかれて

いつか やがて
私たちは

自分の死をも
乗り越えてゆく

かなしみで
心壊れても

自分の心をも
越えてゆく